第19回 春の展示会のバイオリン演奏曲解説 文:小嶋

目次

日本バイオリン製作研究会   バイオリン試奏曲の解説(2024.5.18)

1.J.S. バッハ作曲 バイオリン協奏曲 第2番 第1楽章

ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BMW 1042は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが残した3曲のヴァイオリン協奏曲のうちの1曲であり、バッハのヴァイオリン協奏曲のなかでは最も親しまれており演奏頻度の高い名曲である。

後に『チェンバロ協奏曲第3番ニ長調 BWV1054』(1717年~1723年成立)に編曲された。

YouTubeで、ある霊能者?だろうか、銀河系にはある音楽が流れている話をしていた。その曲はバッハの「チェンバロ協奏曲第3番」にそっくりだという。バッハは実際に銀河の音楽を聴いていたのだろうか?

2.ショパン ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)ミルシュタイン編曲

1830年にウィーンで完成され、ショパンの姉ルドヴィカに送られた作品。

慣例的にノクターンの1つに数えられているが、これは、ルドヴィカの編纂したショパンの未発表作品の目録の中で「ノクターンの様式のレント」と記されているからであり、恐らく、ショパン自身はノクターンと命名しなかったと推測されている。

そのため、速度表示の「Lento con gran espressione」がそのままタイトルとして使われることも多い。

1875年に初版が出版された。ショパンの「ピアノ協奏曲第2番の旋律が拍子を変更して借用されている。バイオリストのナタン・ミルシュタインが編曲。

3.モーツァルト ディヴェルティメントK.136 

“ディベルティメント”とは18世紀後半に愛好された器楽合奏曲のことです。

楽器編成はバイオリン(複数)、ヴィオラ(複数)、バスと指定されている。伸びやかな第一主題で始まる。

モーツァルトのディヴェルティメントK.136からK.138は16歳という若さで作曲された作品でイタリア旅行から帰国してザルツブルクで作曲されたことからまとめてザルツブルク・シンフォニーと呼ばれている。

本来は四重奏曲のため、演奏者により、バイオリンとピアノ譜を起こした日本初演。

4.  マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲

イタリアの作曲家マスカーニの代表的なオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の幕間に演奏される間奏曲である。

妻の不倫を知った誇り高き男が不倫相手に決闘を挑む悲劇の物語で、この美しくも哀しい間奏曲は、決闘直前、嵐の前の静けさを想わせる場面で効果的に奏でられる。

タイスの瞑想曲に並び称せらる名曲だと思うが、いかがだろうか?

5.  グルック「精霊の踊り」(メロディ)クライスラー編曲

本来はグルックー歌劇 [オルフェオとエウリディーチェ] より精霊の踊りである。

クライスラーがバイオリン用に編曲した。ドイツ生まれで、フランスとオーストリアで活躍した。プラハ大学で音楽と哲学を学んだ。

オペラの改革者と言われている。ワーグナーやベリオーズに影響を与えた。

6.   プロコフィエフ バイオリンソナタ 第2番 第1楽章

ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。数多くの形式の音楽で傑作を残している。

ロシアのサンクトペテルブルク音楽院で学んだ。ロシア革命以降は大臣の許可を得て、アメリカ・ドイツ・フランスと移住しながら生計を立てた。

大恐慌以降、スターリズム溢れるロシアに戻ったが、ショスタコビッチと同様、批判された。

くしくもスターリンと同日に亡くなった。ヴァイオリンソナタ第2番 ニ長調 作品94bisは、1942年から1943年にかけて作曲されたフルートソナタ ニ長調 作品94を1944年に改作した作品である。

未完成であったが先行して着手していたヴァイオリンソナタ第1番が存在したため、ヴァイオリンソナタとしては「第2番」とされた。                   

バイオリン試奏曲の解説(2024.5.19)

 1. モーツァルト バイオリン協奏曲第5番 イ長調K219 「トルコ風」

モーツァルトはピアノとともにバイオリンの名手でした。何より彼の父レオポルドは、その頃他に並ぶもののないバイオリンの名手であり、「バイオリン教則本」の著者である。

13歳でザルツブルクの宮廷オーケストラのコンサートマスターにも就任しています。

1775年4月~12月の8ケ月の間に、バイオリン協奏曲5曲全曲は集中して、作曲されています。19歳のことです。

そのため、「ザルツブルク協奏曲」と呼ぶことがあります。

第5番の第3楽章が優雅に奏される中、突然トルコマーチ風の楽想が挿入されているところから、このニックネームがあります。

2. チャイコフスキー 「なつかしい土地の思い出」よりメロディ

37歳の時、教え子アントニーナに押し切られて踏み切った気の進まない結婚はたちまち破綻、チャイコフスキーは国外旅行で傷心を癒やしました。

翌年、後援者フォン・メック夫人の南ウクライナの別荘滞在中に書かれた彼唯一のバイオリン小品集「なつかしい土地の思い出」の第3曲がこの曲です。

単独で普及しているこの「メロディ」は、本来バイオリン協奏曲の第2楽章とする目的で着想されたと言われており、ロマンと哀愁に溢れた名ピースになっています。

3. シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ バレエの情景

ベリオはベルギーのバイオリニスト、作曲家。

パリでヴィオッティ、バイヨーに学び、1843年よりブリュッセル音楽院の教授も務めた。典雅な奏法で知られる知られるフランコ・ベルギー楽派の創始者としても有名であり、アンリ・ヴュータンを育てた。

10曲のバイオリン協奏曲、バレエの情景などがある。教育用レパートリーとして取り上げられることが多い。パールマンがジュリアード音楽院の学生達と録音したこの曲のCDが販売されている。

今回、知られざる名曲紹介の一環として、取り上げた。

4. クライスラー 美しきロスマリン

クライスラーの小品の中でも特にポピュラーなものの1つであるこの曲はウィーンの古いスタイルに基づくワルツになっています。

ロスマリンとは「まんねんろう」という美しい花を咲かせる草花の名前ですが、ウィーンでは愛らしい女性の愛称としても用いられています。 

5. ブラームス バイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」

本作は1878年と1879年の夏に、オーストリア南部のヴェルター湖畔の避暑地ペルチャハで作曲・完成された。

1877年から1879年までの3年間はこの地で過ごしていたが、この3年間のあいだにブラームスは、交響曲第2番(1877年)やヴァイオリン協奏曲(1878年)なども作曲している。

「雨の歌」の通称は、第3楽章冒頭の主題が、ブラームス自身による歌曲「雨の歌 」作品59-3の主題を用いているためである。(ただし、ブラームス自身はそう呼んでいない)。

第1番は、ヨーゼフ・ヨアヒムのヴァイオリン、ブラームスのピアノによって、最初にプライベートな非公開の場で最初の演奏が行なわれた。

その後、1879年11月8日にボンにて公開初演が行なわれ、その12日後の11月20日に、ブラームスとヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世によって再演された。

6. マヌエル・ポンセ エストレリータ「小さな星」ハイフェッツ編曲

メキシコの作曲者、音楽教師、ピアニスト。後期ロマン派音楽の作曲様式から新古典主義に転じた。

地方の聖堂で教育を受けつつ、16歳で教会の正オルガニストを務めるなど音楽の才能をあらわし、その後18歳からメキシコシティ国立音楽院で学んだ。

1905年に渡欧、ボローニャとベルリンに留学し、リストの弟子のマルティン・クラウゼにピアノを師事した。

1907年に帰国して、母校で教鞭をとった。ハイフェッツの編曲した「エストレリータ」の作曲者として有名。

よろしければシェアをお願いします
  • URLをコピーしました!
目次