【製作者紹介】木村進さん

私のヴァイオリン作りは、ピアノ作りから発生したもので、大阪にいた若い頃はピアノがやりたくてやりたくて悶々としていました。25歳、機会を得て浜松に来て念願のピアノ製作に関わるも、音のアレルギーか、大きく体調を崩してしまい、その後遺症が今に残り、聴力の低下が続いています。どうにも音がうるさく、限界を感じて、余儀なく転職を決意。体調を考慮しての職選び、時間を自在にコントロールできることを狙い、住宅の営業を選択する。これが後にVSJへと繋がることに。
ランツ・ファルガの「ヴァイオリンの名器」に魅了され、これがヴァイオリン作りの引き金となる。

その後、時間をかけて製作の準備をするも、楽器の街といわれるこの地でも、ヴァイオリンの製作に関するものは皆無に近く、ある日、本屋で「クリエ」という雑誌を見かけ、表紙に大きく「工房をつくる」とあり、めくると案の定で、無量塔蔵六氏の執筆で”ヴァイオリン工房”が載っており、調達先の丸一商店を知り、カタログを取寄せ、図面、パターン等も含めて一式を発注。

ある日、複数ある建売物件の中に、張り物であるが、凄い杢の入った床柱を見てうなってしまった。そのルーツを追った製造元で同材に出会う。長さ2.5mほど幅45cm厚さ4.5cm 上から下まで全面に杢の入った国産の栃の木、売ってくれるというのでホッとした。随分と年数がたったころ、その木で製作したのが写真のVaとVnの裏板です。が、後に栃は余程加減して削らないと、音が抜けてしまうと思った。当時比重のことは無知だったものの手で持つと軽く、削るとカサツキを感じしっとり感がなく、以来、栃は使っていない。

顧客も徐々に増え、中にはN子さんのように、木彫等をやっている人とは気脈が合ったり、まだまだだが、耳(脳)の具合も僅かによくなって。ある日、見ず知らずの人から封書が届いた。同じ県内の、伊豆の国市韮山 野田脩次 とある。全く覚えのない人。民宿か何かのチラシでも送ってきたものと思い込み、げた箱の上に暫く放置していたが、捨てる際に開けてみて、
しまったと思った。捨てていたら、おそらくVSJのメンバーにはなれなかったと思う。「自分は高齢で、製作はあまり進んでいませんが、長年ヴァイオリン作りをやってきた者で、先日浜松のN子さんより貴方がヴァイオリン作りをやっていると手紙をもらい連絡をしました。一度電話をください」とあり、N子さん宅で事の次第を聞くと、韮山のホールで野田さんの作っ
たヴァイオリンの演奏会があり、その模様が静岡新聞にカラーで大きく載ったので、私には断りなしに勝手に手紙を出したのだという。

連絡を取り韮山へ。

なかに入って驚いた。足の踏み場もないほどに、Vn Va celloで棚が満杯、床も満席。廊下も工房も・・・。600丁作ったという。VSJを紹介され2011年に入会。翌12年Va2台初出品。さあー大変、自分は音作りができない。
研究会の席で後ろの菅沼さんに声をかけ、工房訪問をする。「研究会では、ふむふむと聞いているが、聞き取りが悪くちっとも分からない」というと、「大丈夫、方法がある」とモードチューニングを主に調整を教わり、後に自分の感覚も入れてやれるようになり、お陰で音の仲間入りが出来大いに感謝をしています。

階段を一段一段下るように、聴力は落ち続けます。

補聴器を外すと通常の音はゼロに。自分の感覚では、楽器の高音部は完全に聞こえず、中音部も高次の倍音が抜けて、可聴なのは低音部と中音部の低次の倍音までで、それで音楽の音がかすれてしまい、音色が分かないものと考えています。

展示会では誰のものも皆同じに聞こえるのは、このことによるものと考えています。

展示会では、通訳を兼ねて妻に同行願い助かっています。82歳体力も落ちてきてますが、今少し一緒させて下さい。

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